満月があった。
白い月が目を焼く。
まるで濁り水に浮いた花のよう。
暗い木々の切れ目からそれは覗く。
零れ落ちる光。
その中心に男が一人いた。
月の光を一番受けられる場所に独り。
長い白髪が揺れた。
ざわりと、靡く白銀。
月が男のためにあるかのような、そんな様子。
上背のある姿に簡素な白装束。
顔に、狐の面。
裸足が、ぺたぺたと、子供が遊ぶように座った巨石を叩いた。
その前に、幾千と並んだ―――。

(―――――猫)

ざっと、金の目がこちらを振り返った。
いずれも劣らぬ美しい毛並みの猫。
その下に隠された滑らかな、肉。
強靭な殺意。
探る目がこちらを仰ぐ。
色は様々。
黒、白、茶虎、三毛。
みっちりと、森の隙間を埋めていた。
沈黙が辺りを満たす。
これだけの猫がいるのに、鳴き声一つない。
それを割ったのは、男の声だった。
カッカッカッと粋のいい笑い。
狐面の下からでも、良く響いた。

「ほぉう、ほぉーう。来客か。この夜に?」

ぺたり、と一度岩が強く叩かれた。
そのまま、男は両足でとっと岩を蹴る。
くるりと、その体が弧を描いた。
宙に器用に飛び上がる。
白狐。
一瞬、脳裏に見もしない残像が過ぎる。
次の瞬間、男は目の前にいた。
足音一つない。
其の顔が、紅い。
べったりと、血で濡れていた。

「何だ、娘?」

怪訝そうな目に気づいたのか、男は愉快そうに言った。

「―――――血」

思わず、呟くとああ、と言い、男は、狐面を気軽に引き上げた。
露になる無骨な顎の線。
べろりと、分厚い舌が自身の頬を舐めた。
紅が舐め取られて消える。
カコンと軽い音を起ててもう一度面は伏せられた。
暗い暗い穴から覗く目は金の色。
獣の色だ。

「これでどうだ、娘」

男が言った。

(―――――娘?)

そう言われた途端、体の感覚が舞い戻った。
何処か遠くにあった魂が急速に引き戻される。
全身に鈍い痛み。肌蹴た着物。露になった肌。
自分の体を把握する。
全身に打撲の跡。
破けた着物から覗く、育ちかけの胸。
血の伝う、内股。
そう、これ以上ないほどにこの体は―――――。

(あ、れ?)

しかし、何かがおかしい。
けれど、男は気にしなかった。

「どうした、食われにでも来たのか?」

獣は、にやりと、笑う。
その背後で、無数の猫が一声鳴いた。
一声。
にゃあと。