不意に思い出す。
 深い深い森の中。
 暗い暗い木々の中。
 そこに死体が一つあった。
 内股を伝う紅の線。
 濁った目には、涙の筋。
 娘が行くには暗い道。
 一人で行くには危ない道。
 まるで定めのように娘は襲われ。
 夜盗によって命を落とす。
 それはよくある話。
 あまりにもありふれた話。

 人の命は、あまりに軽い。
 人の命は、あまりに安い。

 けれども、死体は今はもうない。

 ざわざわと。
 さわさわと。

 集ったものが、肉を食った。
 肌の下の脂と共に。
 そして、女の中に詰まった。
 肉の代わりになるように。
 最早動かぬ腕の代わりに。
 最早動かぬ足の代わりに。

 無数の、蟲が。

 異形の技にて蘇った娘は走る。
 逃げる。逃げる。
 何処か遠くへ。
 染み付いた怯えに押されながら。
 ぼうと濁った頭を抱え。
 既にその身は、死んでいるのに。

 そして、娘は出会った。
 森の奥の、隠れた広場で。
 強く尊き、獣の長と。
 狐面と銀の髪。
 獣の目と人の体。
 女は食わぬ、律儀な生き物。
 蟲の長の―――計画通りに。

 今更ながら、それに気がつく。
 皮が破れ、蟲が溢れ。
 もう直ぐ死ぬその間際に。
 既に死んだこの身が。
 土に還るその時に。
 蟲の笑いを聞きながら。

 暗い渦に堕ちていく。
 苦しみはない。
 辛さもない。
 そんなもの。
 最初に死んだ際味わった。
 味わい尽くした。
 この世の地獄を。
 けれども、最後に。
 男の目を思い出す。
 銀の髪に、獣の目。
 月を背後に立つ姿。
 女は食わぬとそう言って。
 惜しそうに肌をなぞる舌。


 もう一度、その目を見たいと。


 何故か、思った。


 ……………………


 ……………………………………  




 最早用済みの娘の皮。
 再び事切れたそれを脱ぎ捨て女は笑う。
 紅に濡れた着物を振るう。
 その下の肌は月より白い。
 柔らかな指が男に近寄る。
 まるで愛でるように。
 哀れむように。
 指が男の、面を外した。
 動かぬ男を草地に捨てる。
 女の手には獣の面。
 美しい狐の面。
 それを顔に押し当て、女は笑った。
 艶やかに唇を歪め、微笑んだ。


 蟲の長を、冠する女が。