「遠い昔のことよ。我は一人の女を喰うた」

男は語る。
気安く語る。
撫でた足を膝に乗せ。
撫でた肩を抱えたままで。
まるで愛でも語るかのように。
かつて殺した女を語る

「とある村の者よ。その村ではな、殺してはならぬ狼を殺しおった。
 報復など、興味は無い。我が手を出すには余りに瑣末よ。
 狼のことは狼に任せるはずだったが。その折は気紛れで手を貸した。
 村の子供を全て喰う事にした。
 一人一人浚ってな、両手足を喰い、腹を裂いた状態で戻す。
 泣き叫びながら泥田に埋まる子に、狼の一族は溜飲を下げた。
 だが、五人目だったかを喰った時の事だ。
 村から女がやって来たのよ―――真っ白な死装束でな」

思い出しでもしたのか、男は笑った。
かっかと喉を鳴らす。
愉快そうな声音。
それから続きを紡いだ。

「女は言ったのよ。愚鈍な肉の立場で、身の程知らずにな。
 自分を喰らう代わりに、子供を殺すのはもう止めろ。
 それだけでも、過ぎた願いだ。しかし、更にもう一つ。
 自分には一人妹がいる。自分の他に身寄りは無い。
 それが森に入って来た時には、どうか見逃してやって欲しい」

脳裏に思い浮かべる。
噎せ返るような緑の森。
滴る葉に覆い隠された闇の中。
凛と立つ女の白い背。
辺りを円形に覆う獣。
今は猫。
当時は狼か。
濃密な獣臭。
濡れた空気が、肌に染みる。
無数の目に晒されながら。
唸りにすら怯えず凛と言う。
獣の主に。
まるで叱咤するような口調で。

「故に我は言った。
 女、我は之から好きに貴様を喰らう。
 が、一度も静止しなければ過分な望みを叶えてやっても良い」


ざわざわと啼く森の中。
蒼白な顔で女は頷く。
黒い髪。白い背。
穢れなき身体。
獣から見れば全て肉。
女は微笑む。
そんなことは容易いと言う様に。
白い身体を投げ出した。

「それからは――五日掛けて嬲ったか。
 耳、目、指、唇、肌――ニ日目までには人とは言えぬ外見になった。
 三日目からは腐敗しだしてな、生かしておくのに苦労した。
 五日目に、終に息絶えたが―――女は一度も止めはしなかった」

ぼんやり男は言う。
金色の目が僅かに翳った。
悔しげに。
哀しげに。
あるいは―――――――。


「我は、女に負けたのよ――たかが、人間の、な」


まるで、恋に破れたかのように。


もういない女を思い、獣は言う。
蛇足に過ぎない続きを語る。


「獣は強欲だが約束は守る。それが――蟲や魚と異なる点よ。
 義を誹れば、やがて報いは来る。
 鹿を取りすぎれば、次の年飢えるのは必然よ。
 一度結んだことを違えてはならぬ。
 それが人と結んだものでも同じことよ。
 故に、我は守るつもりだった」


ぼそり、男は言う。
吐き捨てるような。
そんな調子で。


「守るつもり――だったのよ」