「狗の一族は今や骸よ。残りし雌も僅か。元の数に戻るまで幾年掛かることか」

くつくつと男は笑う。
猫と狗の死合い。
二種の獣。
互いに獣。
それは、まるで。


「同士討ちだな」


あっさりと、男は認めた。
男は、人の心を詠むらしい。
その割に、不快には思わなかった。
男は獣だ。
獣に怒る術など分からない。
無駄だ。


「空の者に言わせれば、何故、自ら手数を減らすような真似をするのかと嘆くがな。
 これぞ獣の本分だ。食いたいものを食らう。それを忘れて何が獣か。
 肉を食らわず骨を啜らず。何のための牙か。我らは強欲よ。
 故に蟲はいけ好かぬ――奴らは貪欲だ。しかし、まだるっこしいのよ」


じわり、声に嫌悪が滲んだ。
蝉に裂かれた掌を男は舐める。
べろりと乾いた血が消える。
その下の肌には傷一つなく。
既に、肉は塞がっていた。
見た目のみは人の肌。
けれども、その作りは異形だ。


「この体に傷一つつけられぬか。脳無しめ。腰抜けめ。
 普段残虐を謳いながら、蟲どもの力などこんなものか。
 血が、肉が抉られてこその闘争というものだ。
 腕一つくらいはくれてやるというに。
 肌一つ、食いちぎりに来るものはおらぬのか情けない」


男は更に嘆く。
べろりべろりと分厚い舌が肌を舐める。
まるで消えた血を惜しむかのよう。
その様をぼんやりと見る。
すると、ずいっと顔が近寄った。
舌が伸びる。
次いでの様に頬を舐められた。
べろり。
狗に舐められたような感触。
血と肉の匂いが残る。
べったりと。


「まあ故に、このような闘争に至ったのだがな。
 機会があれば、互いに互いを食い潰したいと思っておったのよ。
 そして、此度、終によい機会があったのでな」


蟲と獣。
異なる種の闘争。
種が種を食いつぶす戦い。

「百年先か、二百年先か。何時かは分からぬがな、
 先の日に来る利権を争うためよ。
 ある『人の子』をどちらが手中にするかをな。
 面白かろう。蟲と獣の闘争の理由が、まだ生まれてはおらぬ肉のためなのだ」


男は笑う。
くつくつと
耐える術を知らぬ子供の様に。


「おかしな話よ。たかが『人の子』如きのために、蟲と獣がなぁッ!?」


今までになく大声で男は笑った。
獣の遠吠えのような声。
応えるように猫が鳴く。
傷ついた体を庇いながら。
血を吹く喉で。


おわあああああおわあああああああ。
のわああああああああああああああ。
ああああああああああああああああ。


人のような。
獣のような。
不吉な声。
月を呼ぶように響く。
男は笑った。
もう一度笑うと、手を伸ばす。
頬を指が撫ぜる。
先程、舐められた頬。
そして、もう一度。


「のぅ、娘」


僅か、不思議そうに。


「お主、本当に怯えぬのぅ」


何処か、楽しげな声だった。