そっと目を開くと月があった。
細い線の向こうに白。
僅かに開いた瞼の先。
月光が燃える。
獣の匂いが強く香る。
体を狼に食まれているよう。
ざわざわと木々が鳴いていた。
全身の感覚が希薄だった。
音を聞くことすら気だるい。
それでも、無理やり目を覚ます。
頭の下に、堅い膝があった。
誰のものか。
目をやると、狐面が目に入る。
その下の、白い毛並み。
男の顎の線。

「のぅ娘、死体を見たか?」

男は楽しげに言う。
ぼんやりと見上げた空は黒い。
戦いの音は既に無かった。
苦痛に耐える猫の声だけが辺りを満たす。


にゃあにゃあと。
なあなあと。


(なあご)


「死体を見たか? 骸を見たか? 蛆虫に食われる肉を見たか?
 ぐずぐずと腐った肉の間からすくっと伸びた白い骨を?」

男は楽しげだ。
辺りを満たす苦痛の音が聞こえないのか。
ぺろぺろと互いの傷を舐め合う姿を見もしないのか。
その横顔を盗み見る。
仮面の下の口。
それは、笑みを刻んでいた。
男は上機嫌だ。
闘争の喜びに酔っている。
食欲とは別の快楽に。
それを、喜ばしく思う。


(そうでなければ、食われていたかもしれない)


そう、この身など。とうの昔に。


「見なかったか娘。途中にあっただろう。狗の骸を」


男の座った巨石の上。
しなだれかかる様に座り、男の話を聞く。
まるで侍らされているようだ。
男は時に機嫌よく肩を抱いてきた。
その腕は、存外に優しい。
けれども、口にする言葉は大層物騒。
狗の骸。
何処に。
何故。


「知りたいか、娘?」


知りたくなどない。
ただでさえ、頭がはっきりしないのだ。
霧の中を彷徨っているかのように。
けれども、男は構わず語りだした。
すっと伸ばされた腕。
その先に一面の猫。
茶、黒、白、三毛。
今は一様に赤斑。


「此処におるのは猫ばかり。以前は狗だったのだがな。
 猫の長が申したのよ。我の腹心に狗を何時までも置くは本意ではない。
 此度の戦のために、己が一族に今一度好機をとな。
 普段には歯牙にも掛けぬところだったのだがな。
 狗族と猫族の雌雄は三百年程前に決着しておる
 けれどもな…此度の蟲との戦。万全を期す必要があった。
 猫が狗に勝つのならば、それもまた一興よ」


猫と狗と。
今ここにいるのは猫ばかり。
闇に光るは。
全て猫の目。


「戦いは三日三晩続き」


ならば、狗は。


「昨夜、勝ったのは猫だった」


予想した答え。
にやりと男は笑う。
脳裏にある光景が浮かんだ。
月の下。森の奥。
無数に並んだ狗の躯。
朽ちた肉の下。
ずらり牙の欠け落ちた頭蓋。
無念を訴えるような黒い眼。
眼球の食われた穴。