ごうごうと橙に濡れる火が揺れた。
獣の吐息のような風が吹く。
妙に生臭く、生温い。
鉄錆の香が、生々しく鼻を突く。
破れた血管から零れる紅。
まざまざとその色が視界に浮かぶ。
匂いだけで。
地に零れるその色が。

「これは―猫の血か?」

篝火の囲む無数の影。
その円陣の一つが声を発した。
地響きにも似た響きの後に、酒を煽る音が続く
湿ったその音。
分厚い舌が、酒盃を撫でる。
篝火に揺れる影は、人の形をしていない。
隠す気すらないその姿。
堂々と、濁り水色の肌を晒す。
膨れたイボが、岩のようにその背を覆う。
巨大な蛙の手が、酒盃を傾けた。
それに、密かな笑いが応える。

「何がおかしい、魚の?」

問われて、笑いの主は唇を歪めた。
にやり。艶やかに笑うそれは女のもの。
照らされる影も、細い指も同じ。
応えず、女は更に笑みを深くした。
蛙の肩が膨れる。
水晶のように光る目が女を見た。
隣の者が、代わりに応える。
取り成すようなその声。

「―――分かりきったことを聞くなと、そう魚は言いたいのだろう。土の」

涼しげな男の声だった。
その影は、女と同じヒトガタ。
すらり、伸びた嘴だけが異様。
顔の半分を隠す鳥の面。
嘲笑うように、蛙は鼻を鳴らした。

「魚の賭けたのは蟲よ。ならば、この血が猫のものとて文句はないだろうが
 ――俺の賭けたのは獣。この血が猫のものでは困る。
 全く、困る。それくらい、お主ならば分かるだろう、空の」

「分かる。分かるが、俺にはどうでもいい」

応え、男は杯を煽った。
朱塗りの椀の内側から、金の酒が零れる。
人のそれとは違う毒の色。
面の口にそれは注がれた。
嘴を、酒が溢れ、落ちていく。
人の口を使わず、男は酒を飲み干す。
また、魚が声に出さずに哂う。
退屈そうなその様子。

「しかし――分からん。俺には分からん。
 たかが、人の子のために争うか。
 分からん。俺にはとても理解などできん」

「同じことばかり続けるな土の。
 だが、ただの子供ではない。
 俺も争おうかと思ったがな――掻っ攫うだけなら、後でも出来る」

更に、男は酒を煽った。
魚も次いで杯を傾ける。
酔ったような声で男は続けた。
面の嘴がカチカチと鳴る。

「それに、蟲は好かぬ。知っているか、死体の話を?」

囁くようなその声。
哂うようなその声。

「死体の―――ああ」

次いで、蛙は天を仰いだ。
べったりと、手が顔を撫でる。
何を悟ったのか。
何に気付いたのか。
魚が哂う。
けらけらと哂う。
それを、ぎろりと蛙は睨んだ。

「言いたいことがあるのならば、言え。魚の」

「魚のは、一段劣る俺達と喋る口はないそうだ――蟲のと話しているのは見たことがあるが」

「それは本当か?」

「恐ろしいことにな」

篝火が揺れる。
生温い匂いは未だ香る。
消えはしない。
薄れもしない。

森の中は今は静か。
戦の音は遠く尽きた。
けれども、再開は近いだろう。
そして、獣か蟲かどちらかが。


「蟲も、魚も言いたいことは同じだろうよ」


嘴がカチカチ音を立てる。
黒い森がざわざわと。
哂うように啼いている。


「男は、愚かだ」



魚が哂う。

酒宴は未だ終わらず続く。

酒が尽きても終わらず続く。